■日本ロケット協会稲谷会長の連載(ロケットニュースより)

 
日本ロケット協会 会長 稲谷 芳文 


宇宙のまがり角(13)
 

今回から少し宇宙旅行の話をします.前回は,イプシロン初号機打ち上げを機に,世の中の周辺状況がどうなっているかと言うことについて少し述べてみました.何事もそれが時代を先導しているのか,時代遅れになっているのかは,世の中の進み方や周辺状況との相対関係で決まる,とも言いました.

ところが世の中というのはなかなか思ったように前に進まない,というのも現実で,シャトルが切り開こうとした未来は,その通りには全く切り開けなかったし,古くさい使い捨てロケットの世界にまた逆戻り,と言うのが現実でしょう.このあたりのことはこの連載のはじめの頃の2−3回目あたりにシャトルの夢と現実,あるいはシャトルの退役の風景というようなことで少し書きましたが,もう少し振り返って考えてみたいと思います.

冷戦の状況の中で,ロケットという宇宙輸送のシステムの技術そのものが競争の手段であり,同時に目的でもあった時代は,それで何をやるのだと言うことは少々棚上げにしても,それ自身で冷戦の相手を凌駕できるのであれば,実行のための投資は無制限とは言わないが,かなりの規模で資源投入がなされた時代でした.今はそうでない時代の状況であるのなら,では何をすれば未来を切り開けるのであるか?と言うのが我々に課された命題であるのでしょう.

1980年代の後半から90年代は,実はそう言う冷戦構造から次の新たな状況へのトランジションの時代の始まりであって,我らが長友先生は,その頃の宇宙研の周りの環境変化のためか,残りの人生を考えたのか,20世紀の終わりから21世紀への転換をどうするのであるか,と言うようなことにいろいろ考えを巡らしていました.ここはどういうものを作ったら世の中の役に立つか,と言うような視点に切り替えて,ゴールのイメージを具体化するような仕事をしてはどうか?とか日本のロケットも使い捨ての世界では実用になってきたので,21世紀まで後何年,と言う時点で,今後のロケットの方向性をどっちの方へ持って行くのだ?あらまほしき研究の方向は?と言うような議論でした.実際は長友先生との会話は,議論と言うよりもっと一方的なものでしたが・・.

ロケット自身が自己目的化するのでなく,それで何を運ぶのだ、と言うところから入るべき,と,出てきたのが宇宙への輸送の目的としての「宇宙旅行」と「太陽発電衛星」でした.要するに次の時代のロケット屋としては,それを使って何をするのか,をまずはよく考えよう.なぜならそこからこそロケットの次の目標が決まるのだから,と言うことです.前者の旅行は今の宇宙飛行士のように非常に限られた少数の人が行く話ではなく,飛行機に乗るように切符を買って一般の人が誰でも行ける世界にするにはどうしたらよいか,と言う命題です.後者は世界のエネルギ問題と環境問題の解決のために,という今の宇宙の仕事のスコープやスケールとは全く異なる規模と性格のものです.年に1回か2回しか飛ばない,しかも一回で捨てている今のロケットに較べたらどちらもとんでもない高頻度大量輸送の世界です.偶然ですがアメリカでも90年代は,シャトルの次を見て何を輸送需要と見定めるか、のスタディが,ボーイングなどインダストリの主導で行われています(例えばCSTS(Commercial Space Transportation Study)).その輸送需要の中身に「宇宙旅行」と「発電衛星」などが位置づけられています.

さてこの宇宙旅行の勉強をどうやって実行するかという話になったのですが,我々は,この糸川先生の始めた日本ロケット協会,と言う学会プラットフォームを持っているので,宇宙研ではなくここに研究会を作って,ボランティア活動として行いました.まずは研究会のメンバ構成です.この面でも長友先生には勝てません.当時では戦後唯一の民間輸送機であるYS11の開発に重要な役割を果たされた川崎重工の磯崎弘毅さん,富士重工の鳥飼鶴男さんを重鎮として,重工各社から若手のボランティアを数人,それに現麻布大学で当時宇宙研にいたパトリックコリンズさんらと我々で研究会を構成し,中盤以降では戦後の航空機の耐空性の制度整備に大きな貢献をされた船津良行さんにも入っていただき,ロケットの技術の次のゴールをあぶり出すための活動を始めました.また途中からは日本航空協会のプラットフォームも借りて,エアラインやパイロットの方々ともいろんな議論をさせてもらい,どーんとぶっ放して全て捨てるロケットしか知らない我々にとって,誠に刺激的で,貴重かつ有意義な時間を過ごすことが出来ました.

普通の宇宙の仕事だったらまずミッション定義からですが,ここではコリンズさん達がやったマーケットリサーチから始めました.エアラインがやっているように「切符を買ったら宇宙旅行に行けます.一枚いくらだったら自分でお金を出して行きますか?」からです.ここでは詳細は省きますが,この調査から出発して,桁で言うと大体100万円で切符を売り出すことができれば,日本だけで年間100万人の旅客がいて,年間収入1兆円以上の事業ができる,と言う結果が出ました.

「ほほぉー,稲谷くん,こういうロケットを作ったら年収1兆円か.金出す人が出て来たらどうしよう」・・・「先生,なかなか誰も何も言って来ませんね」「そーかこっちから金集めに行くか」「集めてできなかったら夜逃げですかね?」「詐欺師ペテン師の仲間入りだな・・」ある日の長友先生との会話です.「観光丸」のスタートはまあこんな感じでした.

今月以上



バックナンバー
第1回 宇宙のまがり角(1)
第2回 宇宙のまがり角(2)
第3回 宇宙のまがり角(3)
第4回 宇宙のまがり角(4)
第5回 宇宙のまがり角(5)
第6回 宇宙のまがり角(6)
第7回 宇宙のまがり角(7)
第8回 宇宙のまがり角(8)
第9回 宇宙のまがり角(9)
第10回 宇宙のまがり角(10)
第11回 宇宙のまがり角(11)
第12回 宇宙のまがり角(12)
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